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東京高等裁判所 昭和62年(ネ)772号 判決 1988年11月30日

控訴人 鈴木亮子

右訴訟代理人弁護士 福田照幸

同 福田治栄

被控訴人 田村耕一

右訴訟代理人弁護士 村上守

主文

一、控訴人の本件控訴及び当審で追加した予備的請求をいずれも棄却する。

二、控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、控訴人

1. 原判決を取り消す。

2.(一)(主位的請求の趣旨)

被控訴人は、控訴人に対し、控訴人から金三三万円又は裁判所が相当と認める金員の支払いを受けるのと引換えに、別紙物件目録記載の建物(以下、本件建物という。)を明け渡せ。

(二)(予備的請求の趣旨)

被控訴人は、控訴人に対し、本件建物を明け渡せ。

3. 被控訴人は、控訴人に対し、昭和六〇年四月一日から本件建物明渡しずみまで一か月金一〇万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

4. 訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

5. 仮執行の宣言。

二、被控訴人

主文第一項と同旨。

第二当事者の主張

一、請求原因(控訴人)

1. 本件建物はもと訴外亡鈴木保太郎の所有であったが、同人は昭和三四年三月一九日に死亡し、控訴人が相続によりその所有権を取得した。

2. 控訴人は、昭和五二年三月一九日、被控訴人に対し、本件建物を、期間は昭和五二年四月一日から昭和五四年三月三一日まで、使用目的は住居、賃料は一か月金一〇万円、毎月末日限り翌月分の賃料を支払うとの約定で賃貸し、引き渡した。

なお、右賃貸借は、その後二年ごとに合意更新され、最後の更新による賃貸期間は昭和六〇年三月三一日までであった。また、賃料は、昭和五四年四月一日以降一か月金一〇万五〇〇〇円に増額された。

3.(一) 控訴人は、昭和五九年八、九月ころ、山縣祐治を介して、被控訴人に対し、本件賃貸借の更新拒絶の意思表示をした。

(二) 控訴人の代理人である弁護士福田照幸は、同年一〇月一五日、被控訴人に対し、口頭で本件賃貸借の更新拒絶の意思表示をした。

(三) 右各更新拒絶には、後記5記載のとおりの正当事由があった。

4.(一) 仮に右3の(一)及び(二)の更新拒絶が認められないとすれば、本件賃貸借は、前記賃貸期間の満了後、期間の定めのない賃貸借として法定更新されたものであるところ、控訴人は、昭和五九年一一月九日、熱海簡易裁判所に、被控訴人を相手方として本件建物の明渡しを求める調停を申し立て、これが不調となって、昭和六〇年四月、静岡地方裁判所沼津支部に本訴を提起し、以来、被控訴人に対し、継続して本件賃貸借契約の解約の申入れをしている。

(二) 右解約申入れには、次の5のとおりの正当事由があった。

5.(一)(1) 控訴人は、訴外日本エンジニアリング株式会社(以下、訴外会社という。)の代表者をしていた鈴木春郎の妻であったところ、同人の依頼により、控訴人所有の唯一の資産である本件建物及びその敷地について、国民金融公庫と訴外会社との金銭消費貸借等の取引による訴外会社の債務を担保するため、極度額を金二六〇〇万円とする根抵当権を設定し、昭和五七年九月二二日、その旨の登記を経由した。そして、訴外会社は、国民金融公庫から①昭和五七年九月二八日に金一三〇〇万円、②同五八年九月二七日に金八〇〇万円をいずれも利息年八・二パーセントの約定で借り受け、①については控訴人が、②については石井弘志及び控訴人が、それぞれ連帯保証人となった。ところが、訴外会社は、昭和五九年四月に倒産し、鈴木春郎も、その後所在不明となったため、①の残債務の元本金一二一五万円及び②の残債務の元本金七六八万円並びにこれらに対する同五九年五月以降の利息ないし遅延損害金は支払い不能の状態に陥っている。

(2) また、控訴人は、訴外会社の手形決済資金を得るためキャッシングカード等により借り入れた合計金三七一万四五九五円の債務をも負担している。

(3) 更に、控訴人は、訴外会社の資金繰りのため、実姉である鈴木佳子から、同人が老後のために貯えていた生活資金のうちから金六〇〇万円を借り受けたが、佳子は、昭和三年五月一七日生まれの独身の女性であって、現在、健康状態も悪く、収入は不安定かつ不十分であり、他に頼るべき老後の保障も有しない。ところが、控訴人は、昭和六〇年一月二四日に鈴木春郎と離婚し、子もないので、今後の生活は、佳子の援助協力なくしては成り立たない。従って、控訴人は、佳子に対し、前記金六〇〇万円をどうしても返済する必要がある。

(二) ところで、控訴人は、本件建物及びその敷地のほかには格別の資産を有しないので、前記各債務を弁済するためには、控訴人から本件建物の明渡しを受けたうえ、これらをできるだけ高価に売却する必要がある。

因に、控訴人が、昭和六二年一二月末日現在負担する債務の金額は、そのうちの国民金融公庫に対する前記②の債務については、他に連帯保証人がいるため控訴人自身の負担すべき債務額をその二分の一として計算すると、合計金三〇六二万一五二〇円になる。他方、本件建物及びその敷地の完全所有権価格は約金二六〇〇万円と評価されるので、被控訴人から本件建物の明渡しを受ければ、本件建物及びその敷地を右同額程度の代金で売却することが可能である。そして、このほかに、被控訴人が供託している昭和六〇年四月以降の本件賃貸借の賃料相当額は昭和六二年一二月末日現在で合計金三四六万五〇〇〇円になっているから同日現在では、控訴人は、以上の合計金二九四六万五〇〇〇円を前記各債務の弁済資金に充当することができる。もっとも、この計画によると、なお金一一五万六五二〇円程の弁済資金が不足することになるが、右不足額については、分割弁済の方法によりこれを整理することが可能である。

(三) 他方、被控訴人の養母田村とし子は、大慈会教団熱海支部の支部長であるが、被控訴人は、田村とし子に対し、同人が本件建物を毎月三回右支部の集会場として使用することを許諾し、これを控訴人に無断で使用させており、前記契約上の使用目的に違反している。

(四) 控訴人は、更新拒絶ないし解約申入れの当初から、被控訴人に対し、本件建物と背中合わせの位置にある山縣昭子所有の建物及びそれと一軒おいた隣の山縣祐治所有の建物を本件建物の代替建物として提供し、更に引越料として金三三万円を支払うことを提案した。また、控訴人は、原審における和解期日においても、被控訴人に対し、同人が前記代替建物への移転を希望しない場合には、金一〇〇万円の明渡料を支払うことを提案し、更に、本件訴訟上、裁判所が相当と認める立退料を支払うことをも申し入れている。

(五)(1) 被控訴人は、本件建物を住居として使用し、別の建物で喫茶店を経営しているが、本件建物にどうしても居住し続けなければならない理由はない。

(2) 更に、被控訴人は、前記調停期日における出頭状況、交渉態度あるいは交渉内容等において著しく不誠実であった。

6. 仮に前記の更新拒絶及び解約申入れの効果が認められないとしても、控訴人は、昭和六二年七月八日の当審第二回口頭弁論期日において、被控訴人に対し、同人の前記5の(三)の使用目的違反行為を理由として、本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

7. よって、控訴人は、被控訴人に対し、主位的には、更新拒絶もしくは解約申入れによる賃貸借契約の終了に基づき、控訴人から金三三万円又は裁判所が相当と認める金員の支払いを受けるのと引換えに、予備的には、賃貸借契約の解除に基づき、それぞれ本件建物の明渡しを求め、かつ、右賃貸借契約終了の日の翌日である昭和六〇年四月一日から本件建物明渡しずみまで一か月金一〇万五〇〇〇円の割合による賃料相当額の損害金の支払いを求める。

二、請求原因に対する答弁(被控訴人)

1. 請求原因1、2の事実は認める。

2. 同3の(一)ないし(三)の事実は否認する。

3.(一) 同4の(一)のうち、本件賃貸借が期間の定めのない賃貸借となったことは争い、その余の事実は認める。

(二) 同4の(二)の事実は否認する。

4.(一) 同5の(一)の(1)ないし(3)の事実は知らない。

(二) 同5の(二)の事実は争う。

控訴人は、債務の弁済資金をつくるため本件建物及びその敷地を売却する必要があることを強調するが、賃借人が居住していても本件建物及びその敷地を売却することができないわけではないし、すべての債権者より先順位の立場にある被控訴人に対し、後順位の債権者の利益のために本件建物の明渡しを求めるのは、本末転倒であり、また、被控訴人の全く関与しない控訴人の債務のために本件建物を明け渡さなければならないとするのも不当である。

のみならず、本件建物及びその敷地の完全所有権価格は、合計金一三〇八万円程度であり、これにより借家権価格を控除した残額は金九八五万円程度にすぎないから、これらを売却しても控訴人主張の国民金融公庫に対する債務額にも満たない代金額が得られるにすぎない。

(三) 同5の(三)のうち、被控訴人の養母田村とし子が控訴人主張のとおり大慈会教団熱海支部の支部長であることは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 同5の(四)のうち、控訴人が当初山縣昭子所有の建物を本件建物の代替建物として提供し、更に、引越料として金三三万円を支払う旨提案したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) 同5の(五)の(1)、(2)のうち、被控訴人が本件建物を住居として使用し、別の建物で喫茶店を経営していることは認めるが、その余の事実は否認する。

被控訴人は、本件建物に老齢の養父母及び妻子ら五名と同居して生活しており、今後も引き続き本件建物に居住する必要がある。

なお、本件建物の売買交渉、調停その他において、被控訴人が不誠実であったとされるいわれはない。

5. 同6のうち、本件賃貸借の解除原因があるという控訴人の主張は否認する。

三、抗弁(被控訴人)

控訴人は、昭和五九年五月一六日、福田照幸弁護士に対し、本件建物の所有権を譲渡し、同日、代物弁済を原因とする所有権移転仮登記を経由し、同月二五日付で被控訴人にもその旨通知し、更に、同年一〇月二七日右仮登記に基づく所有権移転本登記を経由した。なお、被控訴人は、福田照幸弁護士との間で、同年六月六日、本件建物につき新たに賃貸借契約を締結した。従って、控訴人は、同年五月一六日限り、本件建物の所有権及び同建物の賃貸人としての地位を喪失した。

四、抗弁に対する答弁(控訴人)

抗弁事実のうち、本件建物につき、昭和五九年五月一六日、控訴人から福田照幸弁護士への所有権移転の仮登記が経由されたこと、控訴人が被控訴人に同月二五日付で右のとおり所有権を譲渡した旨通知し、同年一〇月二七日、右仮登記に基づく本登記が経由されたこと、また、福田照幸弁護士と被控訴人との間で、昭和五九年六月六日、本件建物につき賃貸借契約書が作成されたことは認める。

五、再抗弁(控訴人)

1. 控訴人と福田照幸弁護士との間の右所有権譲渡は、控訴人から債務整理の事務を委任された同弁護士が、右事務処理の便宜上(本件建物及びその敷地につき、あるいは本件建物の賃料につき、控訴人の債権者から差押え等を受ける事態を回避する必要があった。)自己の名前を貸しただけであり、実体上の権利を移転したものではない。従って、控訴人から福田照幸弁護士への本件建物賃貸借の賃貸人たる地位の移転も存在しない。そして、控訴代理人である福田治栄弁護士は、そのころ、右の事情を被控訴人に説明し、被控訴人の協力を得ている。従って、被控訴人は、当初より本件建物の所有権及び賃貸人の地位の移転がなかったことを知っていたものであり、また、被控訴人は、本件建物の仮装登記を信頼して利害関係を持つに至った善意の第三者ではない。

2. 右主張が認められないとしても、控訴人と福田照幸弁護士との間の名義借用期間は、税務処理の関係から二年間と約束してあったところ、控訴人は、右期間の終了により、真実の権利関係に合致させるため、昭和六一年一〇月二八日、錯誤を原因としてその登記名義を回復した。

また、被控訴人は、昭和六二年五月八日、同年二月分の賃料を供託するにつき控訴人を貸主として認め、それ以後、毎月の賃料につき控訴人を貸主として控訴人宛に供託している。

従って、控訴人は、被控訴人に対し、自己が本件賃貸借の賃貸人であることを主張できる。

六、再抗弁に対する答弁(被控訴人)

1. 再抗弁1の事実は否認する。

仮に控訴人から福田照幸弁護士への本件建物の譲渡が、虚偽表示であったとしても、被控訴人は善意であったから、控訴人は、その無効を被控訴人に主張することができない。

2. 再抗弁2のうち、被控訴人が昭和六二年二月分以降の賃料を控訴人宛に供託していることは認め、その余は争う。

第三、証拠関係<省略>

理由

一、請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがない。

二、被控訴人は、昭和五九年五月一六日、控訴人が福田照幸弁護士に本件建物の所有権を譲渡し、それに伴い、本件建物の賃貸人たる地位を喪失したと主張するので、以下右の点につき検討する。

1. 本件建物について、昭和五九年五月一六日に同日付の代物弁済を原因として控訴人から福田照幸弁護士への所有権移転仮登記が経由され、同月二五日付で被控訴人に対し、所有権譲渡の通知がなされたこと、また、同年一〇月二七日右仮登記に基づく所有権移転本登記が経由されていることは、当事者間に争いがない。そして、右事実に成立に争いのない甲第二一ないし第二四号証、乙第六号証、証人田村節子、同福田照幸の各証言、控訴人、被控訴人各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

控訴人は、訴外会社の代表取締役をしていた鈴木春郎の妻であったところ、後記認定のとおり、訴外会社の資金捻出のため、鈴木佳子他多数の者に対して多額の債務を負担しており、また訴外会社の国民金融公庫に対する金銭消費貸借上の債務を担保するため、控訴人所有の唯一の資産である本件建物及びその敷地(熱海市清水町九六六番六三所在の宅地六一・七一平方メートル)に極度額金二六〇〇万円の根抵当権を設定していた。そこで、訴外会社が倒産するような場合には、控訴人は、右各債務の弁済を余儀なくされるとともに、本件建物及びその敷地の差押え、競売等の申立てを受けるおそれが十分にあった。ところが、訴外会社は、昭和五九年四月に第一回目の、同年七月に第二回めの手形不渡り事故を出して、事実上倒産するに至った。そこで、控訴人は、右各債務のうち、少なくとも実姉である鈴木佳子に対する債務だけは確実に弁済したいと考え、訴外会社が第一回目の不渡りを出した直後に、控訴人に従姉妹にあたる本件控訴人訴訟代理人の福田治栄弁護士及びその夫である福田照幸弁護士に対し、佳子に対する債務を担保するため本件建物及びその敷地に抵当権を設定することを依頼した。ところが、右両弁護士は、抵当権を設定するよりも、佳子あるいは信頼できる第三者に右土地及び建物の所有名義を移転した方が良いと助言し、結局、その後控訴人の依頼により、福田照幸弁護士に右各所有名義を移転することとした。そこで、右弁護士は、控訴人との間で、同年五月一六日付の代物弁済を原因として同弁護士が右土地及び建物の所有権を譲り受けたごとく仮装し、前記のとおり、その旨の仮登記及び本登記を経由した。これに伴い、控訴人は、同年五月二五日付の内容証明郵便で、被控訴人に対し、本件建物を同月一六日付で福田照幸弁護士に譲渡したので、同月分以後の賃料は同弁護士に支払ってもらいたい旨通知し、右郵便は、そのころ被控訴人に到達した。

右認定によれば、控訴人は、昭和五九年五月一六日、福田照幸弁護士に本件建物の所有権を譲渡したごとくであるが、その原因となっている右代物弁済契約は、当事者間では、真実所有権を譲渡する意思で締結されたものではなく、債権者からの差押え等を免れる目的でなされた仮装の契約であり、右は、通謀虚偽表示として無効であるといわざるを得ない。なお、控訴人及びその代理人である右両弁護士による右のような仮装行為は刑罰法令にも触れる違法かつ不明朗な行為というべきであるが、そのことは右の認定判断自体を左右するに足りるものではない。

2. ところで、被控訴人は、右虚偽表示につき善意の第三者であると主張するが、<証拠>によれば、被控訴人は、前記内容証明郵便を受けた当初は、その内容が真実であると信じて、同年五月二八日、同弁護士に右五月分の賃料を送金したが、同時に同弁護士に事情を説明するよう求めたため、同年六月六日、前記福田治栄弁護士が、被控訴人方を訪れ、被控訴人に対し、控訴人の債務整理のため形式的に名義を変更するが、今後も本件建物の真実の所有者及び貸主は控訴人である旨説明し、被控訴人もそのことを了解したこと、そして、控訴人、被控訴人間の従前の賃貸借契約をそのまま形式的に引き継ぐ意味で、被控訴人は、福田照幸弁護士との間で、同弁護士を貸主とする同日付賃貸借契約書を作成し、その後も昭和六〇年三月分までの賃科は同弁護士に送金していたことが認められる(被控訴人が福田照幸弁護士との間で右賃貸借契約書を作成したことは、当事者間に争いがない。)。<証拠判断省略>

右認定によれば、被控訴人は、通謀虚偽表示の外形に基づいて、善意で新たに賃借人たる地位を取得したものということはできないから、民法九四条二項にいう善意の第三者にはあたらないものというべきである。従って、控訴人は、被控訴人に対し、福田照幸弁護士への名義変更以後も、引き続き控訴人が本件建物の賃貸人たる地位を有することを主張できるものといわなければならない。

三、1. <証拠>によれば、控訴人は、昭和五九年八月ころ、山縣祐治を通じて被控訴人に対し、本件建物及びその敷地を買い取ってくれるよう申し入れたことが認められるが、その際、祐治が被控訴人に対し、賃貸期間満了時に本件賃貸借の更新を拒絶する旨の意思表示をしたことを認めるに足りる証拠はない。

2. また、<証拠>によれば、控訴人の依頼を受けた福田照幸弁護士は、昭和五九年一〇月一五日、被控訴人に対し、本件建物及びその敷地を二七〇〇万円以上で買ってほしい旨、もしその金額で買えないのであれば、本件建物から立ち退いてもらいたい旨口頭で告知したことが認められる。しかしながら、仮に福田照幸弁護士の被控訴人に対する右告知が、本件賃貸借の更新拒絶の意思表示を含むものと解せられるとしても、右告知は、昭和六〇年三月三一日の期間満了前六か月ないし一年内になされたものとはいえないから、更新拒絶としての効力を有しないものといわざるを得ない。

3. しかしながら、<証拠>によれば、控訴人は、同人を申立人、被控訴人を相手方として、昭和五九年一一月九日熱海簡易裁判所に対し、本件建物の明渡しを求める調停を申し立て、昭和六〇年三月二六日に右調停が不調で終了した後の同年四月四日には、静岡地方裁判所沼津支部に本件訴訟を提起し、以後原告ないし控訴人としてその訴訟を追行していることが認められる。そこで、右事実によれば、本件賃貸借は、昭和六〇年三月三一日の期間満了の際に、期間の定めのない賃貸借として法定更新されたが、控訴人は、そのときから今日まで、継続して被控訴人に対し、本件賃貸借の解約の申入れをしているものと解することができる。

四、そこで、正当事由の有無につき、検討する。

1. <証拠>によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  控訴人は、訴外会社の代表者である鈴木春郎の妻であったが、同人の依頼により、控訴人所有の唯一の資産である本件建物及びその敷地につき、国民金融公庫と訴外会社との金銭消費貸借等の取引による訴外会社の債務を担保するため、極度額を金二六〇〇万円とする根抵当権を設定し、昭和五七年九月二二日、その旨の登記を経由した。そして、訴外会社は、同金庫から①同月二八日に金一三〇〇万円、②昭和五八年九月二七日に金八〇〇万円をいずれも利息年八・二パーセントの約定で借り受け、控訴人がその連帯保証人となった。しかし、訴外会社は、昭和五九年四月に第一回目の、同年七月に第二回目の手形不渡り事故を起こして倒産し、鈴木春郎も行方不明となった。そのため、訴外会社は、右①の残債務の元本金一二一五万円及び②の残債務の元本金七六八万円とこれに対する昭和五九年五月以降の利息ないし遅延損害金の支払いが不能の状態になった。

(二)  控訴人は、訴外会社が倒産するまでの間に、訴外会社の手形決済資金を捻出するなどの目的で、キャッシングカード等を使用して、日本信販株式会社等に対し金銭債務を負担し、その元本額は、前記調停を申し立てた時点で既に合計金三七一万円余であった。

(三)  また、控訴人は、訴外会社の資金繰りのため、実姉の鈴木佳子から昭和五八年四月から昭和五九年三月までの間に、金銭を借用し、その残元本は金六〇〇万円である。

(四)  佳子は、昭和三年五月一七日生まれの独身勤労女性であり、昭和四〇年すぎころは、大学同窓会の団体事務員として勤務し、賃貸マンションに入居して独力で生計をたてているが、慢性肝炎、膵炎、胆嚢炎等の持病があり、老後の生活に不安を感じている。また、控訴人に貸与した金員は、佳子が老後のための資金として貯えていたものの一部である。

従って、佳子は、前記金六〇〇万円を是非返済してもらいたいと希望している。

(五)  控訴人は、訴外会社の倒産後春郎とともに身を隠し、昭和五九年暮ころからは一人で佳子のもとに身を寄せ、現在に至っているが、春郎とは昭和六〇年一月二四日に離婚した。そして、両名の間に子はない。控訴人は、昭和六年六月一二日生まれの女性であるところから、佳子と同居してからも就職がむずかしく、時に事務員としてパートに出る程度で定職はない。そして、控訴人には、佳子のほかに頼るべき身寄りはなく、同人に対する前記金六〇〇万円の債務を是非返済したいと希望して、前記のように唯一の資産である本件建物及びその敷地について福田照幸弁護士に相談したのであるが、同弁護士の助言を受けてからは、右土地及び建物をできるだけ高価に売却してその代金により債務を整理し、かつ、佳子に対する弁済資金を捻出しようと考えている。

(六)  そこで、控訴人は、昭和五九年八月ころに山縣祐治を通じて、被控訴人に対し、本件建物及びその敷地を買ってくれるよう申し入れたが、その時の控訴人の希望売却価格は、合計金三〇〇〇万円であった。次いで、福田照幸弁護士は、同年一〇月一五日、被控訴人に対し、金二七〇〇万円で売りたい旨申し入れたが、被控訴人は、それは高すぎるとして、金一〇〇〇万円程度を主張したため、話し合いはまとまらなかった。福田照幸弁護士は、右申入れと同時に被控訴人に対し、買取りができない場合は、本件建物を明け渡してほしいこと、その場合には、本件建物と背中合わせの位置にある山縣昭子所有の建物を代わりに賃貸する旨申し出た。同建物は、当時第三者がその居宅の建築完成までの仮住居として一時的に貸借していたが、昭和六〇年一〇月には右居宅が完成して退去する予定であった。そして、控訴人は、昭子の従姉妹であり、同人から右建物を被控訴人に賃貸することについて予め承諾を得ていた。しかし、被控訴人は、部屋数、間取り及び日当り等の条件が悪いとして右申し出をも断った。

(七)  そこで、控訴人は、福田照幸、治栄両弁護士を代理人として、昭和五九年一一月本件建物の明渡しを求める調停を申し立てた。右調停には、被控訴人自身は仕事や健康の関係で一度も出頭しなかったが、六回の期日のうち四回は、被控訴人の妻節子が被控訴人の代理人として出頭した。

一方、控訴人自身も、右調停での交渉はすべて右代理人に任せ、本人は一度も出頭しなかった。そして、右調停において、控訴人側は、被控訴人の妻節子に対し、本件建物を明け渡すこと、昭子所有の建物を本件賃貸借と同じ条件(但し、賃料は一か月金一一万円)で賃貸すること、移転料として金三三万円を提供すること、被控訴人側の申し出による代替家屋があれば検討するし、他の代替家屋についての希望条件があれば、控訴人側でそれに応じた家屋を探すことなどを申し出た。しかし、被控訴人はこれにも応じなかったため、右調停は、不調に終った。

(八)  なお、被控訴人の養母田村とし子は、大慈会教団の熱海支部長であり、被控訴人と同居しているが、とし子は、本件建物に毎週一回位信者を集めて集会を催している。

(九)  被控訴人は、本件建物から約五〇〇メートルの距離にある熱海市内のビルの一階の一部を借りて喫茶店を経営しているが、昭和五二年に本件建物を賃借して以来、妻と妻の老齢の父母(被控訴人とは養子縁組を結んでいる。)及び在学中の二人の子供の合計六名でこれを住居として使用している。そして、控訴人からなされた本件建物及びその敷地の買取りの申し出に対しては、建物賃借人による買取価格としては金一〇〇〇万円程度が相当であると考えて、これに応じなかったし、代替建物の提供については、部屋数、間取り及び日当り等の関係からその申し出を断った。

以上の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない(控訴人が山縣昭子所有の建物を代替家屋として提供し、更に移転料として金三三万円を支払う旨申し出たこと、被控訴人の養母田村とし子が前記教団の熱海支部長であること、被控訴人が本件建物を住居として使用し、別の建物で喫茶店を営業していることは、当事者間に争いがない。)。

2. 以上の認定によれば、控訴人が本件建物の明渡しを求める理由は、控訴人自ら又はその家族等が直接これに居住して使用する必要があるというのではなく、本件建物及びその敷地をできるだけ高価で他に売却し、その売却代金で前記の債務を整理し、特に、実姉の佳子に対する金六〇〇万円の債務を現実に弁済する必要があるというところに帰着する。

ところで、<証拠>によれば、控訴人側の依頼した不動産鑑定士は、昭和六二年一〇月四日の時点で本件建物に賃借権が存在せず、また、本件建物及びその敷地に抵当権等の負担が存在しない場合の本件建物及びその敷地の売買価格を合計金二六〇〇万円と評価しており(これに対し、証人田村節子の証言により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証によれば、被控訴人が依頼した不動産鑑定士による昭和六一年六月三〇日時点での右売買価格は、金一三〇八万円となっている。)、この他に、本件建物の賃料として被控訴人が供託した供託金が昭和六〇年四月から昭和六二年一二月までの合計額で金三四六万五〇〇〇円になっているから、本件建物及びその敷地を右評価額で売却することができるとすれば、控訴人の弁済資金として、右合計金二九四六万五〇〇〇円を取得することができることになる。他方、前記認定の事実及び前掲甲第四三号証によれば、控訴人が現在負担している債務額は、本件建物及びその敷地に設定された根抵当権の被担保債務である国民金融公庫に対する債務が元金だけで①の金一二一五万円及び②の金七六八万円の合計金一九八三万円となり、これに対する昭和五九年五月から昭和六二年一二月までの利息は、約定利率によって計算しても金五九六万二二二〇円となるから、その合計額は、金二五七九万二二二〇円となり、しかも、この他に日本信販株式会社等に対する前記債務の元本額が、昭和五九年一一月の時点で既に金三七〇万円以上になることが認められる。そこで、これらの事情を彼此勘案すれば、仮に控訴人が被控訴人から本件建物の明渡しを受けることができたとしても、前記のとおりの根抵当権の設定された本件建物及びその敷地をどのようにして前記の評価額で他に売却することができるのかについて、これを確認するに足りる証拠は存在しないのみならず、これを右のとおりの価額で他に売却することができたとしても、その売却代金のみで佳子に対する前記債務まで完全に弁済することが現実に可能であるかは極めて疑わしいといわざるを得ない(更に、被控訴人に対しても相当額の立退料の提供をしなければならないことを考慮すれば、なおさらである。)。

なお、控訴人は、国民金融公庫に対する前記残元本債務のうち、②の債務については、石井弘志も連帯保証しているから、控訴人はその半額を弁済すれば足りる旨主張するが、石井弘志が他の半額を確実に弁済する資力を有するなど、公庫に対する関係で控訴人においては右の割合による分担だけで足りるとすることについて、これを的確に認めるに足りる証拠はない。

確かに、一般に建物とその敷地を売却する場合、建物賃借権の付着したままでは売却しにくく、また、その売却価格も低く押さえられるであろうことは経験則上明らかであり、その意味で被控訴人に本件建物を明け渡してもらったほうが、それだけ高価に売却でき、ひいては控訴人の債務もそれだけ減少させることができるという利益の生ずることは争えないが、もともと、控訴人の本件建物及びその敷地の売却の目的が前記認定のとおりである以上、本件の正当事由を判断するについて、右の点をそれほど重視するのは相当でないといわざるを得ない。また、控訴人は、本件に関し、債権者からの追及を免れるため、その所有不動産の名義を前記のとおり代理人弁護士の名義に変えるなど、違法かつ不明朗な行動をとり、その結果、被控訴人に無言の圧力を加えるとともに、賃料の支払いや訴訟での対応において被控訴人に余計な負担をかけたこと自体、前記認定の虚偽表示の成否とは別に、正当事由の有無を判断するにあたっては、控訴人に不利な事情として評価せざるを得ない。その他、控訴人側と被控訴人側の前記認定の諸事情を総合考慮した場合、控訴人のなした本件解約の申入れには、いまだ正当事由があると認めることができず、このことは、控訴人が被控訴人に対し金三三万円ないしこれと格段に相違ない程度の金額の立退料を提供することによっても左右されるものではない。更に、前記認定の買取り交渉や調停における被控訴人側の態度等を併せ考えても同様というべきである。

なお、田村とし子が本件建物で大慈会教団の集会を催していることも、前記認定の程度では、本件建物の使用目的に違反するとまで認めることはできず、従って、これが本件建物の明渡しを求める正当事由になるとは解し得ず、まして、本件賃貸借契約を解除するに足りる債務不履行の事由となるものとはいえない。

五、以上によれば、控訴人の解約申入れによる賃貸借契約の終了に基づく本件建物明渡しの請求は理由がなく、従って、賃料相当額の損害金支払いの請求も理由がないから、これらを棄却した原判決は相当である。また、被控訴人の債務不履行を理由とする契約解除に基づく本件建物明渡しの請求も理由がない。

よって、本件控訴及び控訴人が当審で追加した予備的請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥村長生 裁判官 前島勝三 笹村將文)

<以下省略>

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